気づけばいつも締切りに追われている。そんなことはないでしょうか。時間は永遠ではない。ほとんどのものごとには期限がある。ましてや仕事なら。
「締切りに追われる人生よりも追う人生の方がいい…」
と今日、電車の乗り換えをしながら考えていた。
でも、追われる人生から追う人生になるって、抜本的な構造改革が必要なんじゃないか、と、はたと気づいた。それは人の締切りを待つ人生。もしかしたら、そっちの方が辛くて、耐えられないかもしれない。
というか、そんな言葉遊びをしているようでは、一生かかっても「締切りに追われる」という問題は解決しない。
某先生が、「人に言われた締切りの1日前を自分の締切りとしています」とおっしゃっていた。要するに自分をだまして締切りを前倒しするってことだ。
よし、と真似してみた。でも、うまくいかなかった。なぜなら、自分をだます自分もまた自分だから。1日前倒しという事実を知っている自分が、「まだ1日あるよ!」って爽やかに言ってくる。
自分の中の素直な自分が「そうか、まだ1日あるか」と、納得してしまう。
自分の中のストイックな自分は、「じゃあ、好きにすれば…?」と冷たい。おいおいそこはがんばろうよ。
「ダメ!絶対ダメ!締切りは、今日なんだからちゃんとやれよ!きちんとやらないことで、他の人に迷惑がかかるんだよ」
ストイックな自分は、自分にとっては悪魔だけど、締切りを待っている人にしてみたら天使だな。
しかしなぜ、締切りに間に合わないのかの答えは、この天使だか悪魔だかが、圧倒的に私の中で小さい存在だからだろう。ごめんよ。
予定をたてる時点で間違っていることもある。多々ある。もちろん、相手都合によって予定が変わることも多々ある。でも、大部分が、先延ばししてしまう思考のせいだ。あと集中力もない。ADHD的要素をあげて、だからしょうがないんだよって逃げていてもしょうがない。
本当はただただやるだけなんだよね。遅れようが早まろうが。あぁ…。これを書いている時間と文字数を、なぜそっちにあてないんだろう。
それなのにそれなのに、なぜ、最近見始めたばかりの海外ドラマ『SUITS』は、あっという間にシーズン3まで見てしまっているんだろう。いつしか追いかける側になりそうだ。
あとさ、ふと思ったけど、締切りを前倒ししたところで、前倒しした締切りに追われるだけじゃないか?
酒量:0