のんべえ手帖

のんべえの日常を綴った日記

猫に呼ばれた?

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大曲の花火が終わって、対岸にいる花火師さんにサイリウムでエールを贈っているところ。

 

先週、大曲の花火を見るために、秋田へ帰った。

今年4度目の秋田だった。そんで11月にまた帰ることになった。年末も帰省するだろうから、通算、年に6回帰ることになる。家を出てからこんなに頻繁に秋田に帰った年はないんじゃないか。

 

ところで、秋田にいる飼い猫のきーちゃんが、どんどん老いて弱ってきている。老いが加速している。歩くと足がふらついているし、疲れるせいか2階にもめったに登らなくなったし、ソファに登るのもひと苦労しているようだ。あと、誰もいない方角を見て、ずっと鳴きやまない。ネットで調べたら、認知症になっているようだ。

でも、食欲は旺盛だ。ご飯を食べているとそばに近づいてきて、この世のかわいいをすべて集めたような顔で見あげてくる。

「なんかくれ」

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なんでもあげるし。

きーちゃんは、私が千葉の市川に住んでいた社会人1年目のときに、知人の紹介で譲り受けた。房総半島のどこかで捨てられていたのだそうだ。きーちゃんには、しーちゃんという兄がいた。兄弟猫だった。2匹とわたしは、猫アレルギーの夫と結婚するまでの1年間、1Kの小さいアパートで一緒に暮らした。

 

それから、きーちゃんとしーちゃんは、実家の秋田に預かってもらうことになった。猫嫌いだった両親がなぜか一変して、孫のようにかわいがってくれた。猫を中心にまわっていたと言ってもいい。手放すことに胸が痛んだけど、両親に愛されながら秋田でのびのびと暮せて、かえって良かったのかもしれない。

 

10年ほど前、兄のしーちゃんはきーちゃんより先に死んでしまった。私は死に目には会えなかった。きーちゃんは死んでしまったしーちゃんの隣をウロウロして、ずっと鳴きやまなかったと母に聞いた。インドの高速道路で見た白いオオカミを思い出した。道路を渡るとき一匹のオオカミが車に轢かれて死んでしまって、仲間がただひたすら道路に向かって鳴いていた。そのとき、動物だって仲間の死を理解するし、ちゃんと悲しむんだってことを実感した。話がそれた。

 

ということで、きーちゃんはしーちゃんの分まで長生きしている。猫の20歳は人間の100歳だし。

でも残念ながら、秋田へ行くたびに弱っているのはたしか。きーちゃんは、最高齢38歳の猫を越してギネスに残って、しっぽが3つにわれて妖怪猫又になるんだと言いながらも、次はもう会えないんじゃないかと思ってしまう。

 

だから今年やたらと秋田へ帰ることになるのは、たぶん、きーちゃんに呼ばれているんじゃないかなーと思えてきた。元飼い主として、最後を見届けないといけないんじゃないか。

いや、でも、まだまだ生きるな。まだ食欲あるし、風呂場だって覗きに来るし。

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2011年のきーちゃん。若い!キュート!

ところで、きーちゃんを探して昔の写真を見てたら、8年前の夏の写真がでてきた。酒を飲みながら大曲の花火を見て、サイリウムをふって、ババヘラを食べていた。行動がなにひとつ変わってない。ぶれない。私のまわりだけが、変わっていくんだな。

 

酒量:日本酒1合